「空気や湿気にさらされたために,物品が劣化あるいは変質してしまう」ことを,「風邪をひく」と表現することがあります.この表現について,以前(2019/1/2)にアンケートを中心とした調査を実施した結果を掲載しました.これは旧ブログに掲載していたものですが,当該ブログを削除したので,ビジュアライズ方法を変更しつつ,あらためてここに提示します.
更新履歴
- 2026/1/3:このウェブサイトでは初版.
国語系辞書による予備的調査
アンケートを行う前に,この言い回しがいつからあるか,そして現代においてどれほど通用しているかを概括的に捉えるために,各種国語系辞書を引いてみました.
あることばの初出(に近い)例を探すのには,大型国語辞書が役立ちます.ここでは,電子辞書 Ex-word XD-GP6900 に搭載されている『精選版日本国語大辞典』にあたりました.すると,「かぜをひく」の項目に,以下のような記述を見つけました.
膏薬(こうやく)、墨、蝋燭、茶、薬などが古くなって湿り、あるいは乾燥して役に立たなくなる。また、一般に、鮮度が落ちる。 *体源鈔(1512)三本「蝋なども風のひかざるを可ㇾ択」
どうやら,この言い回しは室町期にまでさかのぼることが分かりました.また,物品としては,墨や蝋燭のような口にしないものだけではなく,茶や薬のような口にするものもとれるという情報も得られました.しかし,この表現がいまでも通用しているかは,別問題です.
そこで,手元にある紙の小型国語辞書を片っ端から引き,この表現が扱われているかを見てみることにしました.各国語辞書によって編集方針は異なるため一概にはいえませんが,現代においてこの表現がどれほど一般に普及しているかを推し量る手だてにはなるはずです.
「〈物品が〉風邪を引く」を掲載している小型国語辞書は,次の通りでした.
- 『岩波国語辞典』第八版:「かぜ」の項に,「『―を引く』」との記述とともに,「古くなったり湿ったりして、品質が落ちる」との語釈がある.「茶が―を引く」「このフィルム、―を引いてるぞ」との用例を付す.
- 『講談社国語辞典』第三版:「かぜを引く」に,「薬・茶・食品・ばんそうこう・ゴムなどが、古くなってきかなくなったり、風味がなくなったりする」との語釈がある.用例はない.
- 『三省堂国語辞典』第七版・第八版:「かぜを引く」に,「空気や湿気にふれて〈変質する/使えなくなる〉」との語釈がある.「粉が―」「お茶が―」との用例を付す.
- 『集英社国語辞典』第三版:「かぜを引く」に,「茶・粉薬などが、長く外気に触れるなどして、変質する」との語釈がある.用例はない.
- 『新選国語辞典』第八版・第十版:「かぜを引く」に,「薬品などが空気にふれて変質する」との語釈がある.用例はない.
- 『新明解国語辞典』第八版:「かぜ」に,「―を引いた〔=漬けてから時間がたち過ぎて、うま味がほとんど無くなった〕たくあん」との用例を付す.
- 『デイリーコンサイス国語辞典』第 6 版:「かぜ(風邪)を引く」に,「〔俗〕薬や香辛料が古くなって効能がなくなる」との語釈がある.用例はない.
一方で,この言い回しを載せない小型国語辞書も多く,私の調べた限りでは,『旺文社国語辞典』第十一版,『学研現代新国語辞典』改訂第六版,『角川国語辞典』新版,『角川新国語辞典』,『角川必携国語辞典』,『現代国語例解辞典』第五版,『三省堂現代新国語辞典』第六版・第七版,『小学館日本語新辞典』,『新解国語辞典』第二版,『新潮現代国語辞典』第二版,『精選国語辞典』新訂版,『福武国語辞典』新デザイン版,『明鏡国語辞典』第三版にはそれらしい記述は見当たりませんでした.
ついでに,いくつかの中型国語辞書についても見てみました.記載があったのは以下の辞書です.
- 『デジタル大辞泉』(コトバンク):「風邪を引・く」に,「薬や食品などが、空気や湿気に触れて変質する」「鮮度が落ちる」との語釈がある.「湿布薬が―・く」「海苔が―・く」との用例を付す.
- 『大辞林』第三版(同上)・『大辞林 4.0』(物書堂):「かぜをひく」に,「空気・湿気にふれて変質する」との語釈がある.江戸時代初期の『日葡辞書』から「チャガカゼヒク」という用例を引いている.
- 『講談社カラー版日本語大辞典』第二版(紙辞書):「風邪を引く」に,「ばんそうこう・ゴムなどの効力がなくなる」との語釈がある.用例はなし.
一方で,『広辞苑』第七版(紙辞書)には記載がありませんでした.
また,この表現がある種の方言である可能性も考慮して,各種方言辞書でも調べてみました.『日本方言大辞典』(JapanKnowledge) には「かぜを引く」の項があり,以下の語釈がありました.
- 「食品の味が、寒風のために変わる」:島根県に使用例があるとの記述を付す.
- 「みそや大根下ろしなどの味が、風化して落ちる」富山県,岡山県に使用例があるとの記述を付す.
- 「風化する。気が抜ける。役に立たなくなる」:宮城県,大阪府,奈良県に使用例があるとの記述を付す.上述の『精選版日本国語大辞典』にもあった,『体源鈔』からの引用も文献例として示す.
一方で,東條操編『全国方言辞典』(紙辞書)には,関連する記述は見当たりませんでした.
これらの結果から推測するに,現代語としてこの言い回しが通用しているかは五分五分,もしかしたら通用しないほうが優勢といったところでしょうか.方言の可能性もありますが,西日本を中心に,かなり広範囲に分布しているようです.また,前節で述べたもののほかに,粉,漬物,フィルムなども対象にとれることがわかりました.私の周りでは,このほかに粘着テープ,糊やペンも主語にすることがありますが,これもおそらく許容範囲内でしょう.
アンケート
上記の予備検討を経て,以下のように,回答者を特定できない形で,インターネットを用いた簡易のアンケートを行いました.アンケートの回答や周知にご協力いただき,ありがとうございました.
調査概要
- 調査テーマ: 「〈物品が〉風邪をひく」(=劣化、変質する)という表現の使用状況について
- 調査実施: はむ吉(のんびり)
- Twitter(当時,現 X):
@hamukichi_nbr
- Twitter(当時,現 X):
- 利用サービス: 未来検索ブラジル提供「コッソリアンケート」
- 調査期間: 2019/1/2 22:38 ~ 2019/1/3 12:35
- 有効回答数: 合計 442 件
- 参照元 URL: http://find.moritapo.jp/enq/result.php/111074
質問文と選択肢は以下の通りでした:
あなたは、以下の例のように「物品が長い間空気や湿気にさらされたせいで、劣化したり変質したりしてしまう」という意味で、「~が風邪を引く」と表現した(言ったり書いたり投稿したり)ことはありますか。あるいは、このような表現を見たり聞いたりしたことはありますか。
- 例1:粘着テープが風邪を引く(粘着力がなくなってしまった場合など)
- 例2:ボールペンが風邪を引く(キャップを締め忘れて、インクが乾いて書けなくなってしまった場合など)
- 例3:粉薬が風邪を引く(湿気を吸ってしまい、服用に適さなくなってしまった場合など)
- 例4:茶葉が風邪を引く(風味がなくなってしまった場合など)
※上にあげた例の中で、今までに表現/見聞きされたものに似ているものが「ひとつでも」あれば、そのように回答してください
- 表現したことがある
- 表現したことはないが,見聞きしたことはある
- 表現したことも,見聞きしたことはない
調査結果とコメント
まずは,全体集計結果を下記に示します:
pie
"表現したことがある" : 19
"見聞きしたことはある" : 23
"知らない" : 58
当該言い回しの認知率(使う+見聞き)が 42% であるという結果でした.この表現が通用しているかは五分五分であろうという感覚を,調査の前に私は持っていたのですが,それは概ね妥当だったといえるでしょう.
続いて,生年別のクロス集計結果を示します.まずは,生データ(単位:人)の表です:
| 生年 | 表現した ことがある | 表現したことはないが 見聞きしたことはある | 表現したことも 見聞きしたこともない | 計 |
|---|---|---|---|---|
| 1959年以前 | 4 | 3 | 5 | 12 |
| 1960年-1964年 | 7 | 11 | 7 | 25 |
| 1965年-1969年 | 10 | 14 | 24 | 48 |
| 1970年-1974年 | 6 | 9 | 34 | 49 |
| 1975年-1979年 | 6 | 11 | 22 | 39 |
| 1980年-1984年 | 5 | 10 | 20 | 35 |
| 1985年-1989年 | 6 | 5 | 15 | 26 |
| 1990年-1994年 | 3 | 5 | 9 | 17 |
| 1995年-1999年 | 1 | 0 | 5 | 6 |
| 2000年以後 | 1 | 1 | 2 | 4 |
ここで,1959 年以前と,2000 年以後は,人数の少なさと,オンライン上というアンケートの性質からして,除外して考えるべきでしょう.以下は,認知率(%)を図示したものですが,そのように解析しています:
---
config:
xyChart:
showDataLabel: false
---
xychart
x-axis ["60-64年", "65-69年", "70-74年", "75-79年", "80-84年", "85-89年", "90-94年"]
y-axis "認知している人数(%)" 0 --> 100
bar [72, 50, 30, 43, 42, 42, 47]
この結果からすると,50 代以上(1960 年代生まれ)によく馴染みのある言葉であり,若年層には通じにくくなっている表現であるとは言えるでしょう.
続いて,居住地方別,ならびに出身地方別のクロス集計を,生データ(単位:人)の表として示します:
| 居住地方 | 表現した ことがある | 表現したことはないが 見聞きしたことはある | 表現したことも 見聞きしたこともない | 計 |
|---|---|---|---|---|
| 北海道 | 3 | 2 | 2 | 7 |
| 東北 | 2 | 4 | 5 | 11 |
| 関東 | 21 | 36 | 77 | 134 |
| 中部 | 6 | 9 | 15 | 30 |
| 近畿 | 9 | 9 | 29 | 47 |
| 中国 | 1 | 4 | 6 | 11 |
| 四国 | 1 | 1 | 1 | 3 |
| 九州・沖縄 | 4 | 5 | 7 | 16 |
| 出身地方 | 表現した ことがある | 表現したことはないが 見聞きしたことはある | 表現したことも 見聞きしたこともない | 計 |
|---|---|---|---|---|
| 北海道 | 3 | 3 | 3 | 9 |
| 東北 | 3 | 5 | 6 | 14 |
| 関東 | 10 | 30 | 70 | 110 |
| 中部 | 11 | 7 | 26 | 44 |
| 近畿 | 10 | 6 | 25 | 41 |
| 中国 | 4 | 8 | 6 | 18 |
| 四国 | 1 | 2 | 1 | 4 |
| 九州・沖縄 | 3 | 9 | 6 | 18 |
居住地方別では,三大都市圏への移住などの影響か,差が薄まっているようにも思えます.また,各地方別の人数が少なくなり,詳細な解析が難しいというところもあります.そこで,以下では出身地方別に,詳しく見ていくことにします.表を概観する限りでは,西日本(特に中国・九州)や北海道・東北などで認知度が高く,関東ではあまり通じない言葉である可能性があります.方言周圏論を彷彿とさせますが,もちろんこれだけでは即断できません.また,中国地方出身者において,認知率だけでなく「自ら表現する」割合も一定数あるという傾向も特筆すべきかもしれません.この傾向は以下の Sankey 図でよくわかるかもしれません(Mermaid の Sankey 図って non-ASCII 文字に対応していないんですね):
sankey "Northern Japan","Used",6 "Northern Japan","Heard",8 "Northern Japan","Unknown",9 "Kanto","Used",10 "Kanto","Heard",30 "Kanto","Unknown",70 "Chubu","Used",11 "Chubu","Heard",7 "Chubu","Unknown",26 "Kinki","Used",10 "Kinki","Heard",6 "Kinki","Unknown",25 "Western Japan","Used",8 "Western Japan","Heard",19 "Western Japan","Unknown",13
なお,このアンケートに付属の掲示板に,回答者の方々から寄せられたコメントからも,有益な情報を得ました.やはり年配あるいは高齢の方々による使用例が多いようで,明治生まれの方がゴムの劣化を指して,あるいは職場の年長者が接着剤や塗料を指して言うとのコメントがありました.また,対象としては,これらに加えてセメントなどの非食品の例が挙げられている一方で,芋やバナナなどの食品にしか使わないという意見もありました.もちろん,こんな表現は見聞きした覚えもないというコメントも見られました.
まとめと展望
今回は,「〈物品が〉風邪を引く」という言い回しについて,簡単ではあるものの調査を行いました.これにより,以下の結論を得ることができました.
- 「〈物品が〉風邪を引く」という言い回しは室町期からみられる.現代でも使用されているものの,一般に広く普及しているとまでは言い難い.
- 物品としては,口にしないもの(接着剤,糊,塗料,セメント,ゴムなど)のほかに,口にするもの(芋,バナナなど)もとれる.ただし,どの種の物品を許容するかについては個人差があり,さらなる検討および調査が必要である.
- 若年者よりも年長者のほうが,「〈物品が〉風邪を引く」という表現になじみがあるという傾向がある.
- 関東・中部・関西地方出身者よりも,他地方出身者のほうが,「〈物品が〉風邪を引く」という表現になじみがあるという傾向がある.
一方で,今回の調査には以下のような問題があることには,留意すべきです.
- 調査対象の人数が 400 名程度と少ない.統計上の問題を避けるには,コスト面において許される範囲で,より対象人数を増やして同様の調査を行うべきかもしれない.
- 調査対象がインターネット利用者であるため,年代等の偏りが大きい.ただし,それ以外の手段(手紙や電話など)で調査を行うには,相当のコストが必要となる.
最後になりますが,私のちょっとした思いつきで始めた調査でありながら,このようにご協力いただき,ありがとうございました.